2013年7月27日土曜日

風立ちぬは手を振り合う映画

風立ちぬを見ました。
私の中の評価は、大成功した大日本人と言う感じです。

さて、本題に入ろうかと思います。

風立ちぬには手を振るシーンが頻出します。普通の挨拶や、飛行機の出発の合図、夢の中の旅客機の乗客などです。そして、手を振られた側は基本的に手を振り返します。
これは二郎と菜穂子の間でも同じです。しかし、二郎が菜穂子へ手を振り返さないシーンが三つ(多分。また見直して書き直すかもしれないです。)あります。

追記 見直しましたら、確かに三つ有りました。

一つ目は、初対面のシーン。自分の席へ戻る菜穂子が二郎に手を降ります。が、二郎は手を振り返さないのです。

二つ目は、菜穂子の実家へ二郎が見舞いに訪れ、仕事場へ戻るシーンです。これは直接描かれていませんが、菜穂子のリアクションから見て二郎は振り返していないはずです。

三つ目。これは、映画のラストシーンのため、詳しくは言及しません。

一つ目のシーン。私の記憶が正しければ、岡田さんが言ってらした通り、二郎は最初、菜穂子では無く、侍女に惚れていた事を補強する材料にはなるのかな?という感じですね。
侍女が会釈したら二郎も会釈し返していましたし。
また、二人が再会した場面では、初対面時と役割(風に飛ばされたものをキャッチする)が逆になっており、その時は、菜穂子に振られた手を振り返しています。

二つ目ですが、仕事場へ戻る時に、婚約者を見ない。という事は、婚約者よりも仕事の方がプライオリティが高いと言う事です。
このシーンにも相似形があります。それは、菜穂子がサナトリウムに帰る日、テスト飛行へ向かう二郎へ手を振って見送る場面です。この場面では、二郎は手を振り返しています。
これはつまり、二郎にとって菜穂子が仕事と等価に近い存在にようやくなった。ということなんでしょう。命を賭けてそばにいないと仕事と等価にならないなんてひどいですね。





あ、嫌なことを思いついちゃったなぁ〜。仕事場に戻る時って、まだ二人の間に肉体関係がなかったんじゃなかろうか。で、テスト飛行へ向かう時には有ったわけですよ。だから仕事と等価になった。
うわ〜ひでー男だな。

見直しましたら、手を振る事に対してさらに気になる所が出てきたので、追記。

紙飛行機を飛ばすシーンで、屋根に引っかかった紙飛行機を取るシーンで二郎は作中で唯一自ら他者へ(菜穂子)手を振っています。これは、菜穂子が二郎にとって特別な存在に成りつつあると言う事なんでしょうね。

2013年7月20日土曜日

相対性理論の歴史=やくしまるえつこの多チャンネル化の歴史?

早速ですが、相対性理論の歴史は、やくしまるえつこの多チャンネル化の歴史だと考えていて、そのことについて書いてみようかなと思います。

やくしまるえつこの名前の変化


相対性理論の最初の作品はシフォン主義です。
シフォン主義は自主制作版と全国流通版の2種類リリースされており、自主制作版ではボーカルの名義は丸野悦子名義になっており、その後全国流通版リリースの少し前にやくしまるえつこへと改名しています。

その後、ハイファイ新書の学級崩壊、バーモント・キッスの作詞家としてTica・aと言う名前を使い始めました。

丸野悦子からやくしまるえつこへ変わり、さらにTica・aを分化させると言う流れですね。

僕は丸野悦子からやくしまるえつこへの変化は、美大生からバンドのボーカリストを分化させた役割を演じる為の決意表明のような物で、Tica・aはさらに作詞家としての自分をさらに分化させたものだろうと思っています。

なぜ、名前を変えて行くのか?


問題は、なぜ分化させなければいけなかったのか? ということです。
僕はそれを彼女自身の巨大なエゴへの対処方法だったのだろうと考えています。

美大生がボーカルを頼まれたバンドが思いの外人気がでてしまい、色気が出てしまったのでしょう。
そしてそのエゴを丸野悦子に残し、バンドの一員としての活動を優先する為の改名だったのです。が、ボーカルだけではなく、作詞作業も行うようになり、ボーカルとしてのエゴを捨て、純粋な作詞家になるためのTica・aだったのだろうと想像します。
ここでのボーカルのエゴとは、簡単に言えば
“地獄先生とか露骨過ぎねぇか? こんなの歌いたくないんだけどなぁ。”
みたいな思いのことです。

第1期相対性理論瓦解の理由


ここまでは、多分、バンドを最優先に考えての事だったんでしょう。
しかし、その後彼女はボーカリストとしてかなりの評価を受け、ソロデビューを果たします。
さらにボーカリストとしてのみではなく、彼女の作品自体も高評価を受けました。
それまで彼女はボーカリストとしては評価されていましたが、相対性理論は真部のワンマンバンドであると言う共通認識のようなものがありました。
しかし、ソロとしての作品の殆どが作詞・作曲Tica・aのものでした。これは彼女のエゴを充分に満たしたでしょう。

それはまた彼女自身でも評価を受けられるということをも示しており、そうなった場合、相対性理論と言うバンドに忠誠を示しつづける事は難しかったのでしょう。
僕はこの事が第1期相対性理論瓦解の大きな要因だったのだろうと思います。

最後に


解散では無く、真部西浦の脱退に落ち着いたのは多分にビジネス的な判断もあったのでしょうが。大切なことはやくしまるえつこが残った方が相対性理論だ。ということなのです。
これはボーカルがいなくなってもアゼル&バイジャンがプロデュースする以上はタルトタタンであると言うものとは正反対です。

まだまだ書くべきことは残っているのですが、(ソフトウェアのことなど)それはまた別の時にまたやります。